◎「静岡・沖縄を語る会」ブログ2020年07月01日より
宮森小学校ジェット機墜落事故
昨日6月30日、1959年のこの日、まだアメリカ統治下だった沖縄の石川市(現うるま市)の宮森小学校と周辺住宅地に、整備不良の米空軍ジェット機が激突し、児童12人(後に後遺症で1人が亡くなる)を含む18人が犠牲になりました。当時は午前中のミルク給食の時間で、子供たちは全員教室にいました。そこに、一度住宅地に激突した機体が、バウンドして小学校へ突っ込み、あたりはジェット燃料で火の海に。住民や児童ら約120人が火だるまの状態となり、大やけどを負う大惨事となりました。
現在も、宮森小の悲惨な事故を忘れてはならないと、人々は基地の危険性を訴えています。一昨年の普天間第二小グラウンドへの米軍ヘリの窓落下、緑ヶ丘保育園の屋根への米軍機部品落下など、宮森小の事故から61年後の現在も、基地があるがゆえの危険は消えていないのが沖縄の現状です。
米軍機、オスプレイなどの訓練は日本中の空で展開され、訓練が増加している状況から、沖縄だけの問題ではなくなっています。米軍機が日本の空を自由に飛べるのは、不平等な日米地位協定の取り決めがあるため。日本が主権国なら、国民の安全のために、協定の見直しを申し入れ、米軍機の事故を未然に防ぐべきです。