※「ちきゅう座」からの転載です。
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2022年 11月 26日矢沢国光(ちきゅう座会員)
10月17日、岸田首相は、衆院予算委員会で「継戦能力の維持が重要」と述べた。ロシア・ウクライナ戦争の長期化が念頭にあるものと思われる。
11月22日には、首相の諮問機関「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」が、岸田首相に報告書を提出した。その中の
「反撃能力の保有・増強」は、北朝鮮や中国のミサイルを意識したものだ。
「国産のスタンド・オフミサイル(註1)の改良や外国製のミサイルの購入」は、中国の台湾侵攻や尖閣諸島上陸を念頭に置く。すでにアメリカ製トマホークの購入が検討されている(註2)。
「常設統合司令部の設置」は、アメリカの「インド太平洋軍司令官」との共同作戦を想定したものだ(註3)
「防衛装備移転三原則の撤廃」は、武器輸出による武器市場拡大で、[継戦能力の維持に不可欠な]防衛産業への投資拡大を図る。
そして、「国債に依存しない」「幅広い税目による負担」。岸田首相が国内合意の前に、今年5月、バイデン大統領との会談で約束した「国防費の相当の増額」が、既定路線化している。
敵のミサイル攻撃を迎撃するだけでなく(迎撃では防げないから)、自衛隊機の出動で敵のミサイル発射基地・艦船そのものを攻撃し、ミサイル・弾薬・空軍機を長期にわたって補充できる「継戦能力」を育成する。
ここには「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権認めず」という戦後日本の国際社会への復帰の原点を規定した日本国憲法への、いささかの配慮も、かたちだけの遠慮も見られない。
国際紛争を解決する手段として「戦争」も「武力による威嚇も」使う、そのために「敵」の軍事力を凌駕する軍事力の保持に努める――戦争国家に日本はいつなってしまったのか?
「戦争国家日本」の安全保障政策が、国家安全保障戦略(NSS 2013制定)の9年ぶりの改定で閣議決定されようとしている。(註4)
これに対する野党の反応は音無しに近い。主要各紙も、防衛費の財源をめぐる「国債(安倍派)か増税(麻生派・財務省)か」に注目するだけだ。防衛費の財源を国債増発にするか増税にするかは、二の次の問題であり、問題は「防衛費の増額」の背後にある日本の「戦争国家」への転換だ。
NHKの2022年10月の世論調査によれば、防衛費増額に賛成55%、反対29%であったという。北朝鮮のミサイルが怖い、中国は台湾侵攻するかもしれない、アメリカが守ってくれるか確信が持てない、だから自前の防衛体制強化が必要だ、というところではないだろうか。 国際政治の中で、考えてみよう。
北朝鮮はなぜミサイル・核爆弾実験を加速するのか?――アメリカとの平和条約の締結による体制(金王朝)の安堵を求めるためだ。北朝鮮が日本を攻撃する理由は(在日米軍基地が北朝鮮攻撃の基地とならないかぎり)ない。
中国はなぜ、何に対して軍拡するか?――米英主導の中国包囲網(QUAD[日米豪印]、AUKUS[米英豪]等)に対抗しての軍拡だ。中国は、この中国包囲網を打破のために、日本に対してはむしろ中立化を働きかけている。中国に、日本を仮想敵国にして軍拡する理由はない。あるとすれば、在日米軍基地が対中国の攻撃基地として使われることへの対抗措置だ。
アメリカが近年自衛隊と米軍の共同訓練・共同作戦の強化に注力する背景には、アメリカ経済力の衰退がある。安倍元首相はアメリカの衰退に便乗して「自由で開かれたインド太平洋戦略」を提唱し、QUADができた。
「自国の安全保障には自前の軍事力を」は、はたして正しいか?歴史を振り返ってみよう。
ドイツ社会民主党は、1914年8月、帝国議会で戦時公債法に賛成し、英仏露に対するドイツの戦争突入に反対しなかった。「城内平和」によって戦争の嵐がすぎ去るのを待てば、社会主義政党・労働組合としての活動が継続できると考えたからだ。
だがそれはとんでもない思い違いであった。戦争はドイツ帝国そのものを崩壊させ、ワイマール共和国を経てナチスと軍部の第三帝国・第二次大戦突入の悲劇をもたらした。
ビスマルクのドイツ帝国創設以来、ドイツは軍事力の増強を積み重ね、世界一の軍事大国になった。強力な軍事力をもつことそれ自体が第一次大戦を引き起こしたのであるが、第一次大戦終結時には、そのことがまだわからなかった。そのため、第一次大戦の講和では、ドイツの軍部は消滅されることなく残された。軍事力の強化は、平和ではなく軍拡競争をもたらす。軍拡競争は、戦争に行き着く。それが二度の世界大戦の示していることだ。
日本の戦争国家への移行に、わたしたちは、体を張って立ちふさがらねばならない。
(註1)スタンド・オフミサイル 敵の艦船や基地からの対空ミサイル攻撃に際して、自衛隊機が敵ミサイルの射程外から攻撃する射程の長いミサイル。