宮古島・下地島空港の軍事利用に反対する声明
全国的に新型コロナ感染症の感染が拡大する中、沖縄では、政府の無為無策の結果と検疫フリーパスで入るアメリカ本国からの感染が米軍基地を介して持ち込まれ医療の逼迫に苦しんでおり、宮古島でも7月下旬から拡大の一途をたどり、島民は不安な暮らしを続けている。
このような時期に、政府防衛省はコロナ対策ではなく軍備拡大の政策を取り続けている。7月の新防衛白書で「陸上配備型迎撃ミサイルシステム『イージス・アショア』の撤回」が明記され、代わって、自民党ミサイル防衛検討チームの「敵基地攻撃能力保有」の提言が登場、政府は新たなミサイル防衛についての協議を本格化させた。この動きと連動するように、8月6日、自民党の国防議員連盟は「宮古島の下地島空港の自衛隊使用」を河野防衛大臣に申し入れた。軌を一にして宮古島市においても「沖縄の領土・領海を守る会」が7月末記者会見し「自衛隊機の下地島空港配備容認」を示した。
1960年代後半に空港建設の計画が浮上、島内の熾烈な反対運動の結果1971年に当時の琉球政府と日本政府の間で、「下地島空港は沖縄県の管理空港であり、軍事利用はしない」という覚書(屋良覚書)が交わされ、これまでも再三国会でも確認されている。にもかかわらず、1979年の開港以来、これまでに300回を超える米軍機の下地島空港飛来が強行されてきた。2005年3月市町村合併前の伊良部町議会で、緊急動議で8:9で可決された「自衛隊配備」を、その日のうちに島民の結集と追及でくつがえして白紙撤回させた闘いの歴史がある。その2005年頃から日米同盟再編の中で島嶼防衛が語られ始め、陸上自衛隊ミサイル部隊配備計画が明らかになった近年は米軍機の飛来はない。しかし、その間、「普天間基地の代替候補」に上げられたり、F35戦闘機の訓練場として浮上したり、2016年には当時のおおさか維新の会の松井代表と下地幹郎政調会長が視察し、「下地島での米軍訓練」を提案している。米軍はすでに2001年、米国のシンクタンク、ランド研究所が「下地島空港は軍事的要衝」と提言していて、この40年間下地島空港の米軍利用が図られており、今また、米軍の軍事戦略が再編、海兵隊の役割が変更され、新しい米海兵隊「沿岸連隊」の沖縄・島嶼部への27年までの配備が報道されている。自衛隊の戦略は、米軍の軍事戦略のもとに立てられ、基地の共同使用、訓練の一体化を見れば、下地島空港の自衛隊利用には必ず米軍の宮古島への流入があると考えられ、米中の緊張の高まりの中で、戦争への危機が増す自衛隊の空港利用を私たちは認めることができない。
1971年沖縄の復帰運動の最中、宮古島を揺るがした大反対運動の中で、琉球政府の屋良朝苗主席の背中を押し、日本政府と結んだ「覚書」は今も生き続けており、遵守されなければならない沖縄と宮古の平和の守りの宝である。これを無にするような下地島空港の自衛隊使用や軍事利用の動きに私たち宮古島市民は断固反対する。
2020年8月20日
ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会